子ども時代を生き抜く

 子ども時代は厳しい。よく「社会は厳しい」「世間は厳しい」と言うけれど、それを言うなら子ども時代だって相当厳しいものでしょう。
 
 子どもというのは社会的制約がなく自由なように思えますが、実際はまったく自由ではありません。
 
 親の都合に左右され、その地域の教育や文化環境に左右され、そして学校という名の元集められた有象無象の学友たちに左右されます。心身ともに未熟で、自分で使えるお金もなく、それゆえ当然ながら自分で居住地を変えることも、文化や教育を選ぶことも、付き合う友人を選ぶことも出来ません(もしくは非常に限られた選択肢しか与えられない)。
 
 子ども時代に不自由さに直面した人の中で、社会人になって、自分の裁量でお金を使えたり、仕事や環境を選べたりすることに非常に自由を感じたという人は少なくないようです。たしかに、少しでも「何かを選択できる」という自由があるということはすばらしいものでしょう。認知症研究でもストレス研究でも「自分自身や自分にまつわることについて選択できるか否か」が生活の質を向上させストレスを減らすことは証明されています。
 
 そして何よりも子ども時代というのは、乳幼児の甘やかな時代からの脱却の時代でもあります。
 
 乳幼児期は泣けば乳が与えられ、むずがればあやされ、そして歩けば褒められ、自分が笑えば誰もが喜んでくれるといった魔術的万能感に満ちた時代ですが、その万能感は、成長していく過程の中で、親や先生、友だち、勉強、スポーツ、世間体、常識…といった現実たちによって、時に急激に、時にゆっくりと、壊されていきます。現実を知り、自分の能力を知り、自分の限界を知っていく中で、理想や願望、欲望たちは現実的な、身の丈にあったものに変えさせられていくのです。
 
 小さいうちに注がれていた[親の]情愛は減退し、教育が差し出す要求は増大し、自分に対する言葉遣いは厳格なものとなり、場合によっては罰が与えられる、こうしたことによってついに、自分に降りかかっている侮蔑の全貌が剥き出しになっていたのである。
フロイト「快原理の彼岸」
 
 しかし同時に、そういった不自由な運命のもと、それでも懸命に生きていく子どもたちは美しいと、そう感じます。
 
 彼らは小さなものに喜びを見つけ、わずかな楽しみに耽溺します。大人には理解できないような対象に夢中になり、熱狂し、それらを大切に大切にします。拾った小石、大好きなカード、日曜のアニメ、おもちゃの腕輪。それらはきっと、彼らが辛く厳しい子ども時代を生き抜くための心的な支えなのでしょう。豊かな想像力によって、彼らはそれらから現実を乗り越えるだけの力を得るのでしょう。小さな小石は錬金術的な魔法の石であり、きらびやかなカードは最強の力を持ち、アニメの登場人物は自分の化身となる…その想像、その情熱、その喜び。それらを手に、不条理と不自由に満ちた世界を生き抜こうとする、子どもたちは美しい。
 
 そして願わくば、わたしたち大人は、彼らのその果敢な挑戦を見守り、その過程が楽なものとなるよう少しでも手助けが出来る存在でありたいものです。