光るもの、あれは

 世界は素晴らしい、人々は優しい、と多くの人が言います。それは確かに真実でしょう。

 しかし世界の素晴らしさ、人々の優しさを知ってもなお暗い方へ暗い方へと進む心、というものがあるのもまた真実だと思います。

 人は優しいと知っていても、この世は可能性に満ちていると分かっていても、自分の怒りや妬み、劣等感が押さえきれないほどに増幅し、その黒い雲におおい隠され、相手がまったく信じられなくなることがあるでしょう。
 未来は白紙で誰にも分からないものであり、だからこそ嘆きや絶望が永遠に続く確証もないのだと頭では分かっていても、自分の先行きには気が遠くなるほどの孤独と淋しさが待っているとしか思えないこともあるでしょう。
 絶え間ない自己嫌悪。もしくは救いようのない隔絶感。底なしの空虚感。それらのパワーは圧倒的で、時に心がわずかに軽くなることはあっても、すぐ再び抗いようのない生き辛さに満たされ疲れ果ててしまい、結局あきらめるしかないのだと一人固い決意をすることもあるでしょう。

 それでも私たちが生きているのは何故でしょう。暗い道を歩きながらも、何とかやっていこうともがいているのは何故でしょう。


 それはきっと、心のどこかに世界の美しさについてのわずかな記憶があるからかもしれない、と思います。光、もしくは祈り。そういう、ささやかで力のない、今にも消え入りそうな美しさ。

 それはもしかすると、あの日の笑顔かもしれないし、誰かのなんてことのない一言かもしれない。エンドレスで聞き続けた音楽かもしれないし、ボロボロになるまで読んだ書物の中の一節かもしれない。何か、世界の美しさを象徴するかすかな記憶。それらは意識の中に、無意識の中に、ひっそりと積み重なり、私たちが暗い道を歩いているときにふと遠くで静かに光るのではないでしょうか。光、もしくは祈り。か細く非力なクモの糸。それは暗闇にいる私たちの目に直接は入らなくとも心のどこかに瞬いており、その存在をわずかにキャッチした私たちは再びフラフラと立ち上がり、満身創痍で何とか生きていくのではないでしょうか。


 ”心理療法は、治療者がクライエントを治すのではなく、クライエントが自身の自己治癒力によって回復するのだ”という言説は、この業界にいると耳にタコができるほど聞くものです。これは、すべての人に内在する自己治癒力への敬意と尊重を思い出させるとともに、治療者の救済者願望や万能感をいさめる言葉ですが、臨床をしていると、確かにそうかもしれない、と思うときがあります。

 治療者が行うのは、クライエントの孤独や自己嫌悪、絶望という情緒の嵐の中で、か細く非力なクモの糸となっている僅かな光や祈りを見つけ、それに触れ続けることなのだと思います。今はその光との繋がりが切れてしまっているクライエント自身が、それに気づき、自ら触れることが出来るようになるまで、治療者ができることの1つは暗闇の中でその切実な希望から目をそらさずにいることなのかもしれません。