私たちの痛みはオーダーメイドでしか変わらない(精神分析のススメ)

魔法のような解決策

 本屋の自己啓発のコーナーにいくと、女性向けからビジネスマン向け、高齢者向けまで、ありとあらゆる「幸せのための」書籍たちが並んでいます。「幸運の法則」「宇宙にお願いして人生を変える」「人生と仕事を変える50のルール」「運を呼び込む掃除力」などなど。
 
 それらを見ていると、世の中には「これさえやれば幸せになりますよ」というメッセージになにと溢れていることなのだろう、と圧倒される気分です。この世の不平等、不条理はこんなにも明らかで、わたしたちはもう嫌というほど現実のシビアさに晒されているに、それでも溢れかえる万能的で魔法的な幸せの方策たち。いや、こんな世の中だからこそ一層、魔法のような解決策が求められているのでしょう。
 

精神分析は苦悩をどうするのか 

 精神分析の生みの親であるフロイトは、患者から”先生は私の生活環境や境遇を変えることはできないのに、どんなふうにして私を助けるつもりなのか?”と聞かれて、以下のように答えています。
 
「確かにあなたの苦しみを取り除くには私の力を借りるより、境遇を変えた方が簡単でしょう。それは疑いありません。しかし、あなたはヒステリーのせいで痛ましい状態にありますが、それをありきたりの不幸な状態に変えるだけでも、多くのことが得られます。そのことはあなたも納得されるようになるでしょう。そして神経系を快復させれば、そんなありきたりの不幸に対して、あなたはもっと力強く立ち向かえるようになるのです」 『ヒステリー研究』
 
 わたしがフロイトを好きなのはこういうところです。精神分析は「痛ましい状態」を変えることは出来ても、その後の人生における「ありきたりの不幸」は続くということを明確に述べています。
 
 「あなたを幸せにします」でも、「あなたの苦痛を取り除きます」でもない、ひどく現実的でシビアな言葉。しかし、「これさえやれば幸せになりますよ」と非現実的な魔法を囁くのではなく、この世は不条理に満ちており苦悩がなくなることはないという現実から目を逸らさずに、「それでもあなたがその苦しみを抱えながらも何とか生きていけるように手伝いましょう」と宣言する態度は、真摯で誠実といえるのではないでしょうか。フロイトの、現実のシビアさに真っ向から取り組む態度、その中で自分ができる最大限のこと(自分の限界)に慎重である態度が如実にあらわれている部分です。
 

もしもあなたが求めるならば

 自分の苦悩というのはアイデンティティにもなりえます*1。最初にあげたような数々の自己啓発書がうたう「これさえやればあなたは幸せになりますよ」という言葉に胡散臭さを感じる人も決して少なくないと思いますが、そういった人の中には、「多くの人がやってきたようなありふれた手段なんかで、私の苦悩がなくなるものか」という思いを抱いている方も少なくないのではないでしょうか。
 
 わたしはその思いは間違っていないと思います。生まれ持った特性や生い立ち、さまざまな傷つきから作り上げられたあなたのその苦悩は、あなた固有のもの、あなた独自のものです。そうやって作り上げられ、長い時を共にしたその苦悩はもはやアイデンティティの1部をなしており、そういった苦悩が「万人に通ずるやり方」で、魔法のように簡単になくせるわけがない。オーダーメイドに作られたものは、オーダーメイドなやり方でしか変えられない*2。その感覚は決して間違っていません。
 
 そういった個人の固有の苦悩に対して、やはり一人の固有の人間である治療者がおこなうオーダーメイドの治療法の1つが精神分析(的心理療法)だと私は考えています。分かりやすい万能的な法則ではなく、固有の苦悩を時間をかけて見つめ、考え、触れ、言葉にするといった、世界にたった1つの道筋をたどる治療法、それが精神分析(的心理療法)です。
 
 精神分析は時代遅れだといわれ、心理療法の世界においても精神分析心理療法の実践も片隅に追いやられてきている昨今ですが、万能的な魔法に「ノー」を言い、自身の痛みに自らが真っ向から取り組むことを求める人がいる限り、精神分析という実践が絶えることは決してないでしょう。日々の臨床においても、精神分析心理療法を継続されるクライエントの方が手ごたえを感じているのは、きっとこの部分なのだろうと感じます。
 

*1:それは別に良いことでも悪いことでもないものです。

*2:オーダーメイドと書きましたが、考えてみれば別に誰も苦悩をオーダーしたわけではないのだから、ちょっと語弊があるかもしれないですね。